日々是肉球

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ゆく年と整体

今年も、はや大晦日。

楽しいことと辛いこと、喜ばしいことと悲しいことがバランス良く配合されて、振り返って全体を均してみれば、良い一年だったように感じられる。ありがたいことだ。
自分にとって、クリスマスから大晦日の間は、1年で最も寛ぎを感じる期間だ。今年も、エフで土蔵を大掃除したり(我が家は小掃除のみ)、好きな店で食事をしたり、友人と会ったり、買い出しをしたり、料理をしたり、本を読んだり・・・と、幸福な年末を過ごしている。

年越し蕎麦も食べたし、準備は万端であります。どんと来い、日付変更線。


昨日、初めて「整体」なる医術にかかってみた。
これまで、自分は整体とか整骨とか鍼灸とかカイロプラクティックという類のものを敬遠してきた。決して効果を疑っているわけではないし、これらを一緒くたにすること自体が間違いなのでしょうが・・・
理由①:定義も、治療も、効果も、さらにいえば自分の症状すらも、あいまいに思えるから。
理由②:あまりに選択肢が多過ぎて、ひとつの医院を選ぶ理由が見つからず、呆然とした気持ちにさせられるから。
理由③:一度通い始めると、際限なく通い続けなければならなくなりそうだから。

ここ数年、まさに漠然とした、捉えどころのない不調を抱え続けてきたことは確かだ。不眠、不整脈、耳管開放、腹痛、背中や腰の違和感・・・症状を数え上げれば、なかなかのものだ。
とはいえ、どの症状も生活や仕事にも決定的な打撃を与えるレベルではない。人間、歳をとればどこかしらにガタが来るのは必定。この程度の不具合は当然であって、「悩まされている」と言うに値しないという気持ちもある。要は気持ちの問題で、自分には根性と鍛錬が足りないのではないか、と。
現に、常に低空飛行ではあっても、簡単に墜落しないという自信がある。健康診断や体力テストの結果は申し分ないし、風邪を引いて熱を出すことすら滅多にない。仕事はそこそこ忙しいけれど、ライフスタイルだって、他の同年代の人々と比べれば、健康的であるように思える。

「眠れないから」と心療内科に行けば、睡眠薬が処方される。「脈が飛ぶ」と循環器科に行けば、エコーや心電図で心臓を検査する。どちらも、正常ではないが、命に別状はない。「ストレス」や「自律神経」という聞き慣れた原因が申し渡されるが、どうすれば治るかは決して明かにはされない。個々の診断結果を総合すると、諸悪の根源は似たようなところに存在するらしい、ということは分かる。
しかし、自分は十分に満足のゆく日々を過ごしているし、他人よりも特別強いストレスに直面しているとも思えない。それに、自律神経をなだめすかす効果的な手段など、自分には分かりかねるし、医者にだって分からないのではなかろうか。

このようなあいまいな低空飛行状態が、自分にとってあいまいに思われる「整体」という見地からは、どのように診断されるのか。あいまいな症状には、あいまいなもので対処するのが妥当なのかもしれない。理由①は、興味に変わりつつあった。そんなときに、妻が最近通い始めたクリニックを紹介してくれたわけだ。これにて、理由②もめでたく解消された。

そんなこんなで、意を決して、初めての整体へ。理由③は、一度かかってみてから考えることにしよう。

あご髭をたくわえた院長先生が全身の状態を丹念に調べ、のどの奥で低い唸り声を上げつつ、曰く、
「一日に何十人という患者を診るが、滅多に見ないくらいに状態は悪い。」
「身体の本来の機能の2割くらいしか働いていない。」
「髄膜と骨の位置関係が、完全にズレている。」
先に診療室を後にするときに「どうですか」と声をかけた妻に、「旦那さんは酷いですね。」と応えておられる。なかなか率直な先生だ。

・・・そこまで言われる心構えはできていなかったので、困惑や落胆を通り越して、思わず苦笑してしまった。
どうやら、整体的な見地からは、自分の不調は気合とか根性の問題ではなかったらしい。相当劣悪な状態であることを宣告されたわけだが、気持ちの問題ではないという点では、むしろほっとした。

「1月から集中的に治療しましょう。」と力強くおっしゃった院長先生は、心なしか、やる気をかき立てられているおられるように見えた。「滅多に見ない」ほど酷い症状が先生の魂に火をつけたのか。落胆しているであろう患者を励まそうという心遣いか。それとも、もともと力強い方なのか・・・

ともかく、ここまで言われたら、「覚悟を決めて整体に通ってみよう」という気になった。
あいまいで複合的な症状が、ひとまとめにずるずるっと底上げされることを期待して、来年早々、しばらく整体に通ることにいたします。

さて、そろそろ、大晦日の浅草の街を素見しに行ってきます。

♨む♨
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by yun-ron | 2010-12-31 21:49 | あれこれ

さよならバッハ

バッハのコーヒーも好きだけれど、バッハの音楽には心洗われる。
クリスマスに向けて、図書館で「ミサ曲 ロ短調」を借りて聴いていた。
神への祈りを歌うわけだけれど、届かない切なさ、哀しさのようなものを感じて、胸が詰まる。
なぜ主は、なぜ私たちは、とたたみかけるように問いかけているような。

たまたまクリスマスにNHK音楽祭のハイライトで同じ曲をやっていて、映像で見てもやはり迫ってくるものがある。
私たちはバッハの音に赤子が羊水に浮かぶように身を任せるしかないのです。

神との対話は自分との対話であり、全ての死者と生きとし生けるもの、宇宙が全て一体になった中での自分を見つけること、見つけたと同時にそれは無になり、宇宙の一部でしかないことを認識すること、そんなような漠然とした宗教観を持つ今日この頃。
自分とは他者である。

ニーチェの「この人を見よ」であったり、ヘッセであったり、沖縄空手の本であったり、合気道の植芝開祖であったり、お寺のお坊さんであったり、全て言わんとしていることは同じではないか、と思うのです。

そうなると、自分の生命や地球とは、猫の手に弄ばれるピーナッツの殻とさほど相違はないかもしれないと想像する。
糸みみず宇宙。
私たちは糸くずであり、ピーナッツの殻である。
現実の事象による喜怒哀楽に翻弄された途端、それが重大な悲喜劇となり、私たちの心を重く支配する。どこにも動けなくなる。
平常心とは、執着からの離脱とはかくも困難なことか。
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バッハの規則的な旋律の間をこころが行ったり来たりしていると、ただ一点に集中するのと大きな空間に拡散されるのと同時に起こっているような気になり、とても不思議。

自由ということを意識した途端、一番不自由になっているということ、逆も然り。

来年は拘わらない一年にしたい。

しかしニーチェを読んでハッとしたのは、こだわらないこと(衝突しないこと)は怠惰と表裏一体であり、攻撃ということも必要だと。それはすごくよくわかる。
世界中皆ガンジーでも困る。

バッハに慰められた一年よ、さようなら。
来年もより深く、よろしくお願いします。
いくらどうなったとしても、いつも光に手は伸ばしていたい。それが生きるということではないの?
と言ってくれているのですよね、先生。

kiii
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by yun-ron | 2010-12-29 23:09 | 音楽

Xマス

メリークリスマス。

今年のサンタからのプレゼントは、
・大振りのストール(あったかそう)
・マイケル・サンデルの「これから正義の話をしよう」(おお、これ読みたかったのよ)
・ダルマのかたちのビスケット(うまそう)
・きのこ図鑑「おいしいきのこ 毒きのこ」(北海道から沖縄まで、各地のきのこ200種を紹介)
と、盛りだくさんのラインナップ。
34歳のおっさんにきのこ図鑑を届けなきゃならないのだから、サンタも大忙しだ。サンタよ、ありがとう。

年末で気が緩んだのか、仕事納めはまだ先なのに、珍しく風邪らしい風邪を引いたようだ。
昨夜は妻入魂のホタテパイに背伸びして買った上等な白ワインという大御馳走だったのに、鼻が効かないので、せっかくの香りがいまいち分からない。しかも、平らげた後には腹を壊す始末。もっとも、御馳走の後は50%の確率で腹を壊すので、これは風邪とは無関係かもしれない。罰当たりな腹だ。
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明日はエフの土蔵の大掃除だし、絶対に今日中に治さねば。

「インセプション」で今更ながらディカプリオの格好良さに気がつき、「シャッター・アイランド」、「ディパーテッド」と、ディカプリオ主演のスコセッシ作品を立て続けに観た。どちらも緊張感があって、重厚で、なかなか面白かった。「ディカプリオ=タイタニック」という勝手な思い込みがあったので、最近の出演作を観ると、「こんなにシブかったのか・・・」と感心する。演技の上手い下手はよく分からないが、表情に説得力がある。そういえば、「ギルバート・グレイプ」なんか、まさに天才子役だったな。
今夜はちょっと時代をさかのぼって、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観てみる予定。監督がスピルバーグということもあって食わず嫌いをしていたけれど、大好きなウォーケンも出ているし、楽しみだ。

冬場は寒いけれど、昼間は日だまりの面積が大きくなる。猫は幸せそうだ。
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それにしても、ボロっちいソファだな。

今の1枚:Kicking the Television/Wilco

♨む♨
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by yun-ron | 2010-12-25 16:49 | あれこれ

ハイランドパーク

急に雨に降られて、浅草橋からタクシー。
1610円也。深夜料金のやつめ。

大好きなハイランドパークを一日の終わりにチビチビと嗜む、短き憩いのひととき。
スモーキーさとシトラス系の余韻の長い後味。うまい酒です。
ダーク・チョコレートとモルトは、チーズとワインよりも確実な組み合わせ。後者は、意外に合わないことが多くて、慎重を要する。

我が家には、モルトブームが到来しております。

♨♨む♨♨
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by yun-ron | 2010-12-22 00:48

猫と世界の終わりに

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ねむるねこ。
ひたすらねむるねこをみていると、
世界の終わりがこのようだったらいいなと切に思う。

世界が終わるかどうかはわからないけれど
私たちが一年と呼ぶものの終わりは確実に近づいている。
この一年、私はどうだっただろうか?
生き物として、ちゃんと生きられていただろうか?

今日まで何とかおおかた笑って過ごして来られたことに感謝します。
神様、お母さん、ありがとう。

ひと月くらい首と背中の痛みが続いていて、会社で座っていても、寝ていても夜中に痛む程になってきたので、生まれて初めて整体に行きました。
効くんだわ、これが。
頭蓋骨、首の位置と、背骨を先生の温かい手でじんわり調整してもらって、2回通ったら、痛みがなんと、消えました。
身体の軸が全体的に左側に寄っていたとのこと。あとは、頭が少しこわばって固くなっていると・・・それはちょっとショック。
すごいなー、整体って!文字通り、身体を整えるの、大事なこと。
あとは、右半身がいつも冷たいの、気になる。関係あるのかな、軸と。
整えたいな。

そんであとは最近調子にのって、欲望にまかせて暴飲暴食していたら、ついに来ました、つけが。
ディス茶ライブを見に行った日、下北、下北!と調子にのって、以下のことを。
- 夫が居たら必ず止められるであろうアンドレアの納豆チョコ生クリームクレープ一気食い
- コンビニでおにぎりを買い食い
- 帰りに富士蕎麦
翌日は忘年会で次のことをいたしました。
- 生牡蠣
- あんきも
- 串揚げ
- シークワーサーハイボール
まあこれだけではないのですが、まとめて胃の腑に放り込んだら帰宅後胃が縮み上がり、
吐き気との闘い、夜中うんうんうなされるはめに。
夫は寝室に洗面器を設置してくれました。
あとは、牡蠣の食中毒についても調べてくれました。
結論からいうと、ハイボールにシークワーサーは要らないし、
クレープに納豆は不要。

自分で自分を痛めつけて、夫にも胃にも食べ物にも申し訳なかったです。
何か幸せで平和だと刺激や痛みが欲しくなるとか、人間そういうものなのだろうか。

それから、節制。
胃の調子も少しずつ戻り、昨日などは穴子棒寿司の美味しい468(ヨーロッパ)という素敵なお店で、食事も楽しむことができたわけです。
腹も身のうち、と身を以て学んだわけです。
それに痛感したのは、野菜って素晴らしい!
さいきん魚と乳製品を摂り過ぎると、身体の中が詰まったような感じになるのだけれど
野菜はそれをきれいにしてくれるので、本当に助けられています。
何が大事かって、自分の身体の声に耳を傾けること。
無視したり無頓着でいると必ず報復に出ます。
生きているって実感。

半日断食が手っ取り早くリセットできて、良いようです。
18時間は、胃と腸を休ませて。そしたら徐々に復活。

最近観た映画。
- マザーウォーター(あんまりウィスキーが美味しそうで、最近飲み始めた。観終わった後、豆腐が食べたくなる映画)
- Little Miss Sunshine(よくあるドタバタな家族ロードムーヴィーのはずなんだけど嘘っぽくなくてほろり)
- Departed(デカプリ夫は素晴らしい役者だ。私はマーティン・スコセッシを「裸の銃を持つ男」の監督なんだとずっと思い込んでいるがなぜなんだろう?)
- バーバー吉野(吉野刈最高。全然注目されていないところでもたいまさこさんのまゆ毛が印象的)
- Following(クリストファー・ノーラン監督、メメントに続くようなぶった切り時系列に感心)

一ヶ月以上読んでいる本。
ガラス玉演戯(ヘッセ)面白いのだけどなかなか進まないl。ヘッセを読むと、修道院に入りたくなる。神とは、人間とは、幸福とは、何なのだろう?魂の平安や求道と、欲望や名声、属物的な満足感。前者が正しく、尊いと思われる。でもなぜそれだけでは生きていけないのだろう。

先日のみどりさんの月命日では、皆でまた食卓を囲むことができて、嬉しかった。皆で、星座の歌を歌ったのも良かった。
物質世界での隔たりはできても、確かにみどりさんの存在を感じるし、人の存在って生死だけではないのだと思う。

雲龍さんの笛を聴いた夜、流れ星をみた。ひときわ明るい流れ星で、しゅんとまばゆく光って消えた。
その夜、みどりさんの夢をみた。夢の中でもやっぱりみどりさんは亡くなっていたのだけれど、みんなでバスに乗っていて、彼女は周りの色んな人に世話を焼いてくれていて、ちょっと疲れていた。きっとそうなんだろう。いつも見ていてくれるんだろう。

そんな彼女や、自分の心に鏡を照らして、生きなければならない。
自分は、これでいいのか?と常に問いかけなければならない。

でもなんだかんだ言って、年々幸せになっている。昔に戻りたいなんて、全く思わない。
きっと明日はもっと良い人生が送れるだろう。
色々こだわらなくなったら、強くなってきたのかな。
だって考えても仕方ないことってたくさんあるしね。というかそっちの方が多いしね。

kiii
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by yun-ron | 2010-12-20 00:35 | あれこれ

笛とスプリングバンクの夕べ

火曜日は急いで仕事を上げて、ギャラリー・エフへダッシュ。

土蔵の中で、雲龍さんの笛を聴くためだ。
雲龍さんといっても、我が家の猫のことではない。
世界中で、ありとあらゆる笛を吹くアーティストの雲龍さんだ。

無意識に音楽、つまり曲を聴くつもりで行ったのだが、音楽というよりは、まさに音そのものだった。雲龍さんは「音を感じる」と表現されていたが、まさに「聴く」というよりも、「感じる」という感覚、とても原始的な感覚を覚えた。

音楽ではなく、音そのものに集中する機会はあまり多くない。音の世界に没入したいと思っても、どのようにして埋もれれば良いのかが分からず、振り払っても振り払っても、頭には雑念が浮かんでくる。音楽は演奏者の意図や感情が音量や仕草や歌詞などから伝わって来るので、ある意味で身を任せやすい。しかし、音そのものを聴く場合には、そうはいかない。とはいえ、どうやって聴くべきかなどと考える必要はなくて、素直に耳を傾ければ良かったのだろう。

聴き終えた後の感覚や感情は、はっきりと誰かに説明できるようなものではなかったが、確実に、自分の何かが静かに揺すぶられたような気がした。内省の時間。暗くて静かな土蔵の中で、希有な体験をさせていただいた。

演奏後には、安部さん、村守さん、びわっち友吉さんや、エフのスタッフの方々と、食事をしながらゆっくり話す時間を持つことができた。それから、演奏を終えた雲龍さんとも、お話しする光栄を得た。

お気に入りのスコッチ(スプリングバンク)を傾けながら、ゆったりと過ごした幸福な一晩でありました。
その上、誕生日のプレゼントに創吉のグラスまでいただいて・・・うれしいなあ。

♨む♨
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by yun-ron | 2010-12-11 15:45 | 音楽

ヒトコトないしフタコトミコト
by yun-ron
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