日々是肉球

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鬼の居ぬ間に

夫がいずみさんへ憧れのキルフェボンのタルトをホールでプレゼントしてた。
おめでとうございました。素敵な一年になりますよう。
b0192980_22164837.jpg

写真は銀ちゃんブログから拝借。

実は恵子さんも誕生日でした。おめでとうございました。快復をお祈りしております。

一緒にお祝いできなくて残念です。出張前日、エフにお祝い行かなきゃね〜と夫に言ったら、いんじゃない?と言ってたのに、翌日一人で行ってくれたようで。
誕生日にホールのケーキ、憧れです。
キルフェボン・・・食べたことないな・・・

kiii
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by yun-ron | 2011-03-28 22:25

整理がつかない

ナリムちゃん、検査結果良好とのこと、よくがんばったね。
日本全国今たいへんだけど、ナリムらしく毎日生き生きと過ごしてね。

地震が起きて、2週間が経った。
幸い、宮城県仙台市と山元町の叔父と叔母は、助かっていた。
津波が家の前の国道でぎりぎり止まったということで、本当に危ないところだった。
今はまだ現地でも食糧や水、燃料が足りないということで、今行くと逆に迷惑になりそうだ、と父と話した。
すぐにでも行って助けになりたいと思うのを押しとどめ、これから力が必要とされるまで、こちらも態勢を整えておこうと思う。

地震が起きた金曜。港区の職場にいた。
14階では、立っていられない程の揺れを感じ、私はただただ机の下から半分身を出して、どきどきしているだけだった。動けなかった。ニュージーランドの崩壊したビルが頭をよぎった。死ぬかもしれない、と思った。
長い時間だった。
周りでは、テレビをおさえたり、ドアを開けたりと冷静な行動をとる人も多く、性格が出る。
職場のキャビネット類が全て、地震対策として壁や天井にL字金具で固定されていたのが功を奏し、一つも倒れなかった。

一番強い揺れが収まり、それからはずっと気もそぞろで、仕事にならなかった。
お台場方面のビルから、黒煙。
何が起こっているのかわからなかった。
余震も30分おきくらい(と感じるほど頻繁)におき、だんだん船酔いのように気持ち悪くなり、机の上に突っ伏した。
余震のたび、窓から見える周りのビルの窓が波打つように揺れる。
周囲の女性は制服から私服に着替え出し、私も「早く着替えなさい」と促された。
ロッカーにいつも置いてあった非常用のスニーカーをもって、机へ戻った。
外へ出た方がいいのか、中に居た方がいいのか。揺れるたび、クライストチャーチの瓦礫が頭をよぎる。

5時頃になって、電車も動かないので、帰れる人は歩いて帰り始めた。(夜中の3時頃家に着いた、という人もいた。)
帰宅困難者たちは集まり、それからはずっとテレビでニュースを見ていた。

夫とは携帯メールでも最初連絡がとれず、会社のメールで何とかやっと無事が確認できた。
夜になり、札幌の家族や友人たち、海外の同僚たちからも安否を気遣うメールが次々にやってきた。
電話は携帯も固定もまったく繋がらなかったので、メールに助けられた。

地下鉄は夜遅くに動き出したが、夫が帰宅できないことがわかったので、ひとりで家にいるよりは家族も安心だろうと、会社に残ることにした。
配られた非常食を齧りながら、ずっとずっと、呆然とテレビを観ていた。
黒い津波が家々や田畑を舐めるように進み、気仙沼が戦火のように燃えていた。
自分の目が信じられなかった。鳥肌がたち、大変だ、大変だ、と口の中で唱えていた。

夜2時頃、逃げる時のために少しでも眠らねばと思い、仮眠をとった。
余震は続き、エアコンのファンが唸る音に目が覚め、うつらうつらし、4時頃、また大きめの余震で飛び起きた。ニュースを確認し、また6時頃までうつらうつら。何度も緊急地震速報が周りの携帯から鳴り響く。怖い。地震後から、ずっと足がつっている。

夜が明けた。食欲はまったくなかったが、歩いて帰らねば、と思い非常食で腹ごしらえした。
Twitterで駅の状況をみるも、午前中は入場制限がかかっているようだったので、結局昼間で会社で待機し、電車で帰ることにした。
今回、Twitterもとても情報源として役立った。

昼頃、スニーカーを履き、日差しの中へ出た。
建物から壁が落ちて来ないか、看板が当たったら死ぬ、と考えながら道の真ん中を歩いていたら、車に轢かれそうになった。

電車は空いていて、拍子抜けした。何事もなかったかのようだ。

28時間振りに帰る家を外から確認し、火事はないようだとほっとした。

しかし家のドアの前に立つと、すえた匂い。
いぶかしく思いながら鍵を開けると、龍が「にゃー!」と言いながら出てきた。
いつも開いている、廊下から居間へ通じるドアが閉まっている。
奥から雲の「にゃおーん」という声が聞こえる。
生きてた・・・よかった!と思いながらドアを開けると、部屋の中は大混乱だった。
(下の記事の写真参照)
すえた匂いの原因は、ワインビネガーが割れているのだった。ワイングラスが6個、皿が1個割れていた。
しばし呆然とするも、とりあえずお腹をすかせた猫にごはんをあげた。
本棚の下敷きにならなくて、本当によかった。

以後、本棚と食器棚の前には机を設置し、倒れないように押さえることにした。我が家の地震対策。

猫はその後一週間、とても敏感になっていて、後ろに立ったり、がたっとドアや窓が揺れる音がすると、跳び上がらんばかりに驚いていた。可哀想に。

とりあえず散乱した本と食器を片づけ、合気道の稽古へ行った。こんな時だからこそ、何かしなければ、行かなければと思った。10名しかいなかったが、仲間の無事を確認できて良かった。

エフも大変なことになっているだろうと思い、カップ麺やスープ、パンなどすぐ食べられる救援物資を買い集め、自転車をとばした。片づけに追われていたが、皆無事だった。とりあえずの片付けは終わったし、食べ物もあるから、と言われ役に立てなかった。そんなときに電力関係の仕事をする夫をもつ友人から、原発緊急事態のメール。最終段階まで後少しだから、万が一に備えておくように、との指令。夫からも時を同じくして、買えるものをかっておくように、とのメール。慌ててしまって、エフにも何か買ってきましょうか?買っておいた方がいいみたいですよ、と伝え、結局何もできず去り、自分もスーパーへ急ぐ。
とりあえずの缶詰など数日分の食糧を買い、(水は既に売り切れだった)戦後の買い出しの人のような格好で家路を急ぐ。あと何か必要なものはないか?放射能で外出できなくなるとすれば、いったい何日分準備すればよいのだろう?見当もつかない。

結局それは着実に現実のものとなってきているのだが、今考えると、あの時の自分の行動は間違っていた。災害避難用リュックサックは普段から準備していたし、食べ物がなくても数日で死ぬわけではないのに、不安と焦りから群衆パニックや物資不足に力を貸すような形になってしまった。終わってみなければ、何が正しかったのかなんてわからない。それでも、自分のことしか考えていない自分が本当に情けなくなった。
夫にもエフにも「備え大臣」という称号をつけられてしまったようだし。
もう少し呑気にならなければ。

それにしても夫や知り合いたちはいつも何とかなると思っていてスマートだ。必要なときにだけさっと行動する。私はいつも悪い想像ばかりしている。災害や犯罪に備えようと、色々本を読んだり(「凶悪犯罪に遭わないために」とか)、あらゆる可能性を想像したり、準備をしたりしている自分は何だか、せこせこしていて、神経質で不細工だ。結局損得勘定と、自分がいかに助かるかしか考えていないということだ。もっと鷹揚に構えていたいのに。

地震直後は、もっと大きなことのために何かせねば、と緊張感をもって姿勢を正していたのに
興奮状態が落ち着くと、普段は割とうまく隠している(つもりの)ペシミスティックな性格が表に出てきて、下らないことでめそめそしだす。本当に下らないので、もっと世の中のためになるようこんな自分は殺したい。そもそもこんなことを書くのも恥なのだが、自分を客観的に見ねば。命を繋ぐのに大変な人が大勢いる。すみません、もっとしゃんとしますから。

テレビからは連日津波の映像、被災者の嘆き、原発の不穏な状況、政府の焦りが流れ続ける。
熟睡できない。食欲がない。食後は腹痛。なんとなくずっとの頭痛。ずっと揺れている感覚。
地震が起きてから一週間で、2kg体重が減った。

(その後出張で日本を離れたところ、一週間で3kg増えたが。離れてみると、大して被災していないのに、いかに自分がニュースに影響されていたかわかる。)

マレーシアへの出張も、こんな時に行っていいのか、出張の旅費を節約して義援金に回した方がよいのでは、と上司に躊躇する心情を吐露した。こんな時だからって、何もかも止めればよいわけではない、行かなくて良いような出張であれば最初から行くべきではないし、海外で日本の状態を伝えるという使命も今はさらにある。我々は我々のできる仕事をやらなければならない、という言葉を聞いて、最初は感情的に違和感を憶えたが、今は正しいと思うし、その言葉に感謝している。おかげで堂々と仕事ができたし、海外の人々に日本の逼迫した状態を直に伝えることができた。

とりあえず、電力の第一次ピークという8-11時の時間を外して、洗濯機のスイッチを入れる。
原発がなくたって、やってやりたい。私たちの生活を。

何だか、ひとりになると涙が出てくる。どうしよう。何ができるんだろう。非力。いやいや、自分に同情するのは卑劣な人間のやることだ。その通り。自分のやれることをやります。

義援金の募集もおこなっています。
どうか、ご協力ください。

kiii
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by yun-ron | 2011-03-28 13:07

ハイランドパーク

急に雨に降られて、浅草橋からタクシー。
1610円也。深夜料金のやつめ。

大好きなハイランドパークを一日の終わりにチビチビと嗜む、短き憩いのひととき。
スモーキーさとシトラス系の余韻の長い後味。うまい酒です。
ダーク・チョコレートとモルトは、チーズとワインよりも確実な組み合わせ。後者は、意外に合わないことが多くて、慎重を要する。

我が家には、モルトブームが到来しております。

♨♨む♨♨
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by yun-ron | 2010-12-22 00:48

サケ

日曜。

お昼前から、都内の某酒屋にて日本酒の試飲会。試飲会なるものに参加するのは初めてだ。
プロによるプロのためのもの、という敷居の高さを感じていたし、今回も本来プロのために催された会に、幸運にももぐり込ませていただいたのである。ありがたや。

秋から出荷される「ひやおろし」をメインに、20種は超えるであろうという種類の日本酒を試したけれど、自分に「利き酒」は到底無理そうだ。お猪口一杯だけでは、「好き」か「そうでもない」かすら自信を持って判断できない。ましてや、山田錦だとか雄町だとかという米の種類、ヤマハイだとかキモトだとかという醸造法などは全く分からない。
ただ、これまであまり意識していなかった「酸」が、どうやら日本酒のキャラクターの重要な要素であるらしい、ということに気がついた。「甘い」「辛い」は何となく気にしていても、酸の強さや性質にはさほど注意を払っていなかったように思う。

同じ醸造酒であるワインは、その土地の味を表現することに重きがおかれているように思う。旨い旨くないはもちろんあるのだが、どんな味であれ、「これがこの土地の味なのか」と思えば納得もいくし、善しとしてしまうことが多い。
その点、日本酒はどうなのだろうか。日本酒の造り手は他の土地から米や麹を取り寄せて醸造することが多いので、必ずしもその土地の原材料を使っているわけではない。醸造の方法や造り手の人的な個性はある程度表現されそうだが、「土地柄」のようなものも出てくるのだろうか。流通網の発達にともなって、「新潟県らしい」とか、「四国らしい」という土地柄が薄れてしまうことはないのだろうか。

最近は手に入る純米酒の種類が急激に増えているから、てっきり純米酒ブームが到来しているものと思っていたが、消費量は依然右肩下がりとのこと。日本酒を飲む人数や機会は減っていなくても、昔のような酒豪がいなくなって、一人当たりの消費量が減っているのかもしれない。

こう暑いと、ついついビールやさっぱりした白ワインに手が伸びてしまうけれど、もう少し涼しくなったら、日本酒にももっと食指を伸ばしていこうかな。最近の我が家の食事には、圧倒的に日本酒が合うはずだし。まずは、自分の好きな酒、その日の気分や体調に合った酒を選べるようになりたいところ。

限られた人生、飲める酒の量も限られている。もっと酒が強かったらなあ・・・と思うことが少なくないが、おそらく、あまり強くないから飲み過ぎなくて助かっている。

♨む♨
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by yun-ron | 2010-09-07 00:48

ヒトコトないしフタコトミコト
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