人気ブログランキング |

日々是肉球

2010年 12月 29日 ( 1 )




さよならバッハ

バッハのコーヒーも好きだけれど、バッハの音楽には心洗われる。
クリスマスに向けて、図書館で「ミサ曲 ロ短調」を借りて聴いていた。
神への祈りを歌うわけだけれど、届かない切なさ、哀しさのようなものを感じて、胸が詰まる。
なぜ主は、なぜ私たちは、とたたみかけるように問いかけているような。

たまたまクリスマスにNHK音楽祭のハイライトで同じ曲をやっていて、映像で見てもやはり迫ってくるものがある。
私たちはバッハの音に赤子が羊水に浮かぶように身を任せるしかないのです。

神との対話は自分との対話であり、全ての死者と生きとし生けるもの、宇宙が全て一体になった中での自分を見つけること、見つけたと同時にそれは無になり、宇宙の一部でしかないことを認識すること、そんなような漠然とした宗教観を持つ今日この頃。
自分とは他者である。

ニーチェの「この人を見よ」であったり、ヘッセであったり、沖縄空手の本であったり、合気道の植芝開祖であったり、お寺のお坊さんであったり、全て言わんとしていることは同じではないか、と思うのです。

そうなると、自分の生命や地球とは、猫の手に弄ばれるピーナッツの殻とさほど相違はないかもしれないと想像する。
糸みみず宇宙。
私たちは糸くずであり、ピーナッツの殻である。
現実の事象による喜怒哀楽に翻弄された途端、それが重大な悲喜劇となり、私たちの心を重く支配する。どこにも動けなくなる。
平常心とは、執着からの離脱とはかくも困難なことか。
b0192980_22583367.jpg


バッハの規則的な旋律の間をこころが行ったり来たりしていると、ただ一点に集中するのと大きな空間に拡散されるのと同時に起こっているような気になり、とても不思議。

自由ということを意識した途端、一番不自由になっているということ、逆も然り。

来年は拘わらない一年にしたい。

しかしニーチェを読んでハッとしたのは、こだわらないこと(衝突しないこと)は怠惰と表裏一体であり、攻撃ということも必要だと。それはすごくよくわかる。
世界中皆ガンジーでも困る。

バッハに慰められた一年よ、さようなら。
来年もより深く、よろしくお願いします。
いくらどうなったとしても、いつも光に手は伸ばしていたい。それが生きるということではないの?
と言ってくれているのですよね、先生。

kiii



by yun-ron | 2010-12-29 23:09 | 音楽

ヒトコトないしフタコトミコト
by yun-ron
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

フォロー中のブログ

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

ブログパーツ

最新の記事

2017.1.22 飯舘村 ..
at 2017-02-03 00:29
あと7日(猫には1か月相当)
at 2017-01-08 00:53
たきびとたわし
at 2017-01-04 23:30
そして毎日は続いてく
at 2017-01-01 16:02
2016.12.27 飯舘村..
at 2016-12-27 23:50

ファン

ブログジャンル

画像一覧