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日々是肉球

祖母のこと

母方の祖母が亡くなった。
大正3年生まれの96歳。まさに大往生といって差し支えないと思う。
最初に危篤の知らせがあったのが15日の夜。一旦持ち直したとのことだったので、18日の土曜に会いに行った。このときには意識も無く、我々の呼びかけにも全く反応は見せなかった。その翌々日、20日の夜に永眠した。

祖母は気力、体力ともに優れた人で、80を超えてもなかなかに健在であった。もっとも、祖母自身はそんなつもりはさらさらないようで、いつも身体の衰えをこぼしていたけれど。
さすがにここ数年は足腰も衰え、養護施設に入って暮らしていた。常に達者であった頭が少しぼんやりし始めてからも記憶力は健在で、我々がたまに訪ねると興味深い昔話をいくらでも聞かせてくれたものだ。

祖母は自分の母を含めて6人の子を産んだが、うち3人を幼い頃に疫痢で亡くし、母の妹に当たる娘も、若くして乳癌で亡くなった。4人の子に先立たれるという辛い記憶を抱え続けながら生きてきた、強い人だ。
本人はポックリと逝くことを強く希望していたが、現実は本人の希望に沿うものではなかったかもしれない。こればかりは天の思し召しだからいたしかたない。

文学を愛し、一時期は短歌を嗜んでいた。作品の一部を自費出版で歌集にまとめたものがあり、自分もここに1冊所有している。手元に置きながら、実はこの歌集に目を通したことはなかったし、未だにほんの一部しか読んでいないのだが、昭和59年に詠んだ歌に、次のようなものがあった。

平(たいら)なりし 今日のこの身は 息の緒を 絶えしとばかり 孫の轢かれて

自分が小学1年生の自分に自動車に轢かれたときの驚きを歌ったもので、この歌を含めて、この事故についての歌は9首も詠まれている。こんな歌もある。

轢かれし児の 頭(ず)を守りしという ランドセル 黒く鎮もる 机の上に

そうそう、ランドセルのおかげで、単なる骨折で済んだのだ。もう処分してしまっただろうが、神棚にでも祀るべきだったかもしれない。

祖母の死をきっかけに、忘れかけていた昔の思い出が少し甦ってきた。
新検見川にある家にちょくちょく泊まりに行ったこと、初めて一人で電車に乗って出かけて行ったたときのこと、料理が得意でちらし寿司やぼた餅や鶏のから揚げ(骨付きで、「チュ−リップ」と呼び習わしていた)をこしらえてくれたこと、居間のテーブルに老眼鏡代わりの虫眼鏡が置いてあったこと、夜横になっていると近くの線路を電車が通るたびに家がカタカタとわずかに揺れていたこと・・・


通夜や告別式では、久しぶりに親戚が一同に会することになった。子どもたちも孫たちその他の親戚たちも、それぞれみな歳をとり、それぞれの生活の匂いをまとっていた。あまりにご無沙汰が過ぎたので、この場で和気あいあいに意気投合、とはいかないまでも、お互いの近況を確認し合うことができた。

告別式からの帰り路で、妻が「こうして親戚縁者を呼び集めるのが、人が亡くなるに当たっての最期のひと仕事なんだろう」と言っていた。実に、そのとおりだと思った。

どうか安らかに。

♨む♨



by yun-ron | 2010-09-23 21:44 | あれこれ

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